昨日四十九日法要無事に終えました。精神鍛練してる本部道場で、空手道の生徒が気合いを込めて練磨する場所が一番似合うと選択した。家内の妹も兄弟両親失ない、独りになった。
勝ち気な姉の言うことを、何でも聞いて、姉妹でも性格は真逆、病院で看病に来ている時に臨終に立ち会えた。
亡父は日本書人会の創始者、全国規模の月刊誌発行していた。
弟は山岳写真家で有名な白川義員、奥さんが舞踏家の二代目西崎みどり、家内も叔母の内弟子だった。和服の粋な着こなしをしてた時代もあった。
芸の厳しさは身に付いたもの、戒律の厳しい舞踏家の世界で修行していた。
彼女25歳、私は24歳の出逢いだった。
結婚して私の我が儘で山籠りを決断し3ヶ月後一年間実家に帰って貰った。
常識から外れた新婚生活スタートだった。新婚生活は彼女の料理はなかなかなものでした。空手道だけの生徒での生活費はさぞ、大変だったと思う。如才ない妻だった。忘れてた、笑い、
田中角栄さんが中国に訪問して国交回復して、友好ブ―ムが来た、そのなかで太極拳の出逢いが、だんだん源流に触れてのめり込んで行く。天が与えたプレゼントでしたが、家庭環境も変化を余儀なくされた。雨の日借家の庭でカッパ着て練習姿を見た。その時、「好きな事をやればいい!とことんやればいい!結婚しても自分の人生を無駄にしない事を望んだが、以後は妻と言うより同士だったようだ。内輪の話はあの世から叱られるかも知れない、生まれ年、干支、猪、兎に角、真っ直です、正直です、天真爛漫でバカ口開けて良く笑ってました。私の良く揚げ足取ってました。なかなかしたたかでしたな、笑い
【お疲れさまです。
去年から4回横浜に行かせて頂き 三郷では?さんご夫妻、今年になって ?さん??さん、?さん、?さん達‥と皆さん良い方達にお会いすることが出来 元気づけられました。
最後まで姉と一緒に居られた事と この様な出会いで『頑張ろう』と思いながら帰因することが出来ました。
先日、いつも家の事をみてもらってる方が『お姉さん面白い方なんですねぇ』と笑いながら言ってました。『まだまだ生きたかった、やり残した事がある 極めたかった‥でも身体がポンコツになってしまって‥』と姉が言ったらしいです。"ポンコツ"って仰有ったんですよ(笑)って。
亡くなってまで面白いんだ、と私も笑ってしまいました。
病人なのに喋ってると面白いことを言うので笑ってしまう、こっちが元気をもらう‥‥自分も頑張らなきゃ!と励まされてる!
子供たちの事、みんなの事を見守ってくれてると思います。自分たちが幸せでいる事が何よりの供養になるんでしょうね~🙏】
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