2015年12月31日木曜日

一年間ありがとうございました。





写真⬛元町、中華街、ベイブリッジ、古里墓参り

●47年前2月17日横浜駅に降りた。父親から頂いた『人間は正直であれ、素直であれ、』を座右の名に降り立つた横浜の一歩、三人の華橋青年が迎えてくれた、20歳の旅立ち、振り返ればそこに未来がある。空手道47年、太極拳37年、気付けば長い年輪が出来てた。駆け足だった気もする。『生きる力は武道ある』『2015年12月31日』、過ごせし姿駆け足で振り返る。生まれは大分県の山間の里、緑豊かな山河の美しい我古里、大分県の主流の大野川の上流、丘に登れば久住山、阿蘇の山並み、景色と人情だけは都会に負けない、椎茸やかぼすの産地、近くには名所、風蓮鍾乳洞、稲住鍾乳洞、臼杵石仏、三重の内山観音、お伽噺は炭焼き小五郎、吉四六さん話し、竹田天空の城跡、岡城、がある。今年三月九州旅行を33名でした、福岡では太宰府天満宮、柳川、八女の六所宮、佐賀では嬉野温泉、吉野ヶ里遺跡、熊本では熊本城、阿蘇五岳を望、黒川温泉、大分では光城の月の岡、古里三重の道の駅、九州旅行に快く同行頂いた人達には素晴らしい縁でした。旅の最終地、三重の道の駅では親戚、同期生、旧友の皆さんが待ってて頂いた。夜なべしてお土産を用意頂いてた、ひさしぶり孫二人連れて墓参りが出来た。学生時代空手の練習行ってた菅生神社、何がなんでもと見学に行ったお弟子さん達、そこで演武したそうな!同期生が涙したそうな!青春真っ只中、思い出した短い時間を、彼と私しかわからないだろう、わたしは不幸にも親の縁薄く、小学5年生と時、11年間の闘病生活の母を亡くした、独り子、家業が新聞販売店と反農で、小学3年生から高校3年生まで新聞少年、炊事洗濯は私の仕事、寂しい思いと苦労は人並みにさせられた少年期、野山を駆け回りチャンバラごっこ、遊び道具は全て手造り。農繁期には子供は労働者の一員だった。全く今と異なる貧しい不便な時代、終戦三年目に私は生まれた。戦争は知らないが、生の声を父からその戦友から酒の席で伺ってた。幼い私を背中におんぶして育ててくれた父も早くに亡くなった。⬛高校入学して柔道を県警察武道館にて始めた、高校一年の時に東京オリンピックだった。始めて白黒テレビが入った、この時から正式種目になった日本柔道は無差別級でオランダのヘイシンク選手に破れた。反骨精神が涙した、学友が得意げに沖縄に伝わる空手道の話をしていた。南海の一子相伝、南海の秘拳を解説している、中学生の新聞配達で夕日に染まる川原の湖畔で演じてた、『あれだ!』神秘的だった、次の日道場を学友と訪ねた、道場は野外だった。『男はまず強く優しくなければ』男の子一分が立たない男気の時代、独り子の私は人一倍それが強かったと思う。親一人子一人の殺伐とした生活から抜け出そうともがいていたのだと思う。道場の先生は兄同様可愛がって頂いた、空手道のお陰か高校生活を真っ直ぐ過ごさせて頂いた。稽古は休まず励んだ、先生はたまにしか指導してくれなかった。それが指導だった事を今痛感する。⬛、今の様に手取り足取り、考えられない、過保護は人を育てない、野外道場で練習していた仲間も何時の間にか私独りになっていた。当時機関車で50分の気車通学が私の勉強の場所、帰宅したら近くの神社でローソク立てての練習、高校では生徒会長、後輩が良く虐められてる状況見て、悪の巣窟の学校を少しでもと悪達と向かい合う日々、『力のない正義は無価値、正義のない力は暴力』を痛感する。心技共に成長する事が我が人生の軸と感じた時期。進学就職、高校卒業後迷わず、此れまでの中途半端な空手が決別出来ず、一念決意、家出同然にアルバイトした金で大分県を後に鹿児島に行く、鹿児島に少林寺流錬心舘総本山がある。先代宗家保勇先生を頼り、本場での修業がはじまる。仕事はあるタイヤ会社に勤めながら、空手命の時、良く先代宗家は若者に夢を持たせてくれた、奥さまの手料理を頂き頂きながら、学びの庭を開いて頂いた、一年半たった時、命運を分ける出来事があった。群馬県前橋市で各流派が大同団結して国体参加を目だそうのスロガンの下、第一回都道府県空手道選手権大会があり鹿児島県を代表して錬心舘から上京した。相手選手をタンカ―で運んだ、この試合を横浜華橋青年の皆さんが観戦されていた、以後総本山に私宛に横浜華橋総会から招聘状が参り、先代宗家から意思の確認を受け、若干20歳たなったばかりの、嘴の青い若造、自分の未熟考えながら、上京を決意した。『若いということは失敗は経験、空手道初心から見直しやり直し、独りぼっちは怖いものなし』苦労覚悟での都会への旅立ち、別れには鹿児島中央駅ホ―ム一杯の送迎を受けて、二度とこの地には帰れない、送別の送り、みんな、みんな、純粋だった、一途だった、青雲の志を持って、寝台特急富士当時26時間かけ横浜駅に立った。棒と空手衣のみのを持って着の身着のまま、三代20才の春の新しい旅立ちだった。横浜中華街の一角台湾系の横浜華橋総会、横浜中華学院と隣接している、図書館を整理して、15坪の畳道場があった。華橋青年を中心にインターナショナル、日本と段々多国籍道場が出来ていった。20才で指導者となり今思えば、肩肘張った青年期だったかなと思う。当時の事情よく知ってる方が、生徒が慕って来る中で『三代さんも青春真っ只中、先生と呼ばれて慕われて、いつも気を抜かず、自分以外の姿でいなければならない、ある意味で可愛そうだね』と言っていたそうだ、横浜に来て旗を掲げ、頼れる者は自分一人、毎日練習の虫だった、独りぼっちになって孤独感を味わいながら、それもいいものだった。突き蹴り挑戦、食も事欠く、山籠りしたり、脳もなければ知恵もなし、理屈なく実行あるのみ、若いとは素晴らしい、意思が身につけて、私が寝てる所を起こすのに生徒が何人も犠牲になった。無意識な事が身に付いてた。身延山で合宿中、練習がきっく、クデーターが起きた、七人の有段者が突然襲ってきた、秒札、四人が倒れた、語り草の珍話し、太極拳のなりそめは24歳の頃、中華街道場四年たった頃、華橋総会に招待状が來た。『中華民国第一回世界華橋青年国術観麻大会』華橋青年10名を引率して中華街の重鎮が団長、私は師範として、始めての海外、台湾着いて右も左も文化の違いを感じながら、素晴らしい規模の5日間の大会に参加した。この大会が私の又ひとつの運命の出会いだった。始めて中国武術の対面でした。珍しい曲線の動きの体の使い方、激しい拳法を外家拳と言うそうな!その中でゆったり柔らかく動く、武術とは思えない中国のどかな動きを見たとき、中国の悠久の片鱗を見た、後で内家拳、太極拳なと言うそうな。そこで中国指導者の方が中国武術の話を少しして頂いた。中国は『揚子江を境に南拳北腿に分かれその特徴は南船北馬』と言う。観摩大会最終日最後の時間私共の空手演武、スポットライトを浴びる静寂の中で未熟ながら、真剣に演じた。大会終了後、会場は観客と選手で交流の場となり会場一杯の親善交流がなされてる中で歩調正しい軍隊が私の前で立ち止まり敬礼をされた。『空軍の黄将軍が見学されてました、お会いしたいと申しておられます』と、運命の糸は縁が縁を育てる。台湾で空手道を教る縁となりました。⬛台湾での自主トレは欠かさなかった。総統府隣新公園で朝靄の中でマングローブや林の中で柔らかくゆったり動く集団があった、大会で見たあの太極拳。宿舎に帰っても頭の隅から離れない、横浜中華街にはなければならない中華文化、剛柔相済、空手道と太極拳、取り組むのには、多くの陰口が聞こえて来る、空手以外求めては邪道の声を肌で感じながら、我が道は我がが開く、雑音や嫉妬や風当たりは風の様に流し、道が目的が決まれば、脇道はしないのが私の性分、同じく日中国交回復後、中国5000の歴史に国内は友好ムード、太極拳もこの時から静かなブーム、色んな縁を頂きながら取り組んで来た。試行錯誤の日々日中国交回復の立役者は太極拳とパンダと勝手に思ってる。第三全日本太極拳大会が関西から関東に川崎市体育館で次の年横浜文化体育館で中国武術が始めての国際大会、第一回アジア武術選手権大会、合わせて日本武術太極拳連盟結成に関わる中で夢は大きく膨らんだ、第十一回北京アジア競技大会開幕式集団太極拳、日本側の監督を仰せつかり全国を指導させて頂き日中1400名の素晴らしい演武は内外に大きな影響を与えられた、太極拳の発展の源となった。日本武術太極拳連盟結成後、理事として国際大会、指導員制度化、全日本武術太極拳選手権大会、全日本ジュニアオリンピック競技大会、全日本武術太極拳競技大会、審判として、組織化目だし神奈川県連盟結成、神奈川夢国体国際競技場で太極拳1400名、長拳200目名の公開競技も忘れらかれない。走った走った。日本太極拳友会は一貫して選手権大会には優秀な選手を育成し多数送り出している。近年内田愛、佐藤直子はその代表です!吉永麻理子の剣12連覇は素晴らしいの一言、奈良英治の楊式、中沢潤の総合、集団太極拳の定番、その他次につなぐもの達も育ってる、太極拳体操から太極拳になる日を私は夢見てます。拳友会では年間には選手合宿、交流合宿、講習会、対外指導、技能検定、交流演武大会、確りと地に足を着け軸はぶれず惜しまず努力してきた。来年申年は如何な年か、過ぎた日々を思い、これから出来る事を縁ある者達と時を大切にしたい、『花にも命がある』2015年ありがとうございました。無事に過ごせた事に感謝致します、交流ありました皆様に幸多絡ん事をお祈り申し上げます。拳友会三代

2015年12月27日日曜日

四日目 中国浙江省 紹興市






二日間の天台山から紹興市に移動する。
昨夜は上海組と私共で夕食し、余興ありで盛り上がった。
以前に縁ありました浙江省元市長呉先生、多忙な公務の中わざわざ訪問頂き、宴席で懇親を深めた。
お土産に『王義之 蘭亭序(竹簡)』を頂いた。
午前中は紹蘭興市内観光で、蘭亭(竹林の風流な佇まいの公園、王義之、有名な書家)、魯迅生誕の家、酒と書と水と花の都との事。
午後は練習で皆さん熱心に太極拳推手を漫喫していた。
夜は毎日日中交流で盛り上がり、来年度交流大会に参加の意思を表して太極拳で結ばれてる同志の絆であった。
なぜ毎年訪中の企画を実施してるか、技術の向上は1つにあるが、太極拳を通じて交流と一年間ご苦労のご自分へ慰労の旅と考えている。
旅は絆を育てる事が一番いい目的です。
そこには長年、信頼と実績と友情が積まれ、塞翁が馬、何があるか解らない人生、その時、その時を大切にしていきたい。
日中の各旅行社古澤社長、周部長、今回も良く案配頂き感謝致します。

天台山 国清寺 傅清泉先生




傅清泉先生ご苦労様でした。
国清寺山門入口で演武。映画『少林寺』で有名な場所での演武。
今回は推手がテーマでした。御苦労様でした。感謝申し上げます。

三日目 天台山 国清寺






午前中の練習後、午後は天台山賓館の隣の仏教天台宗の総本山「国清寺」。
寺院入口、ここは当時河南省嵩山少林寺が荒れ果てて撮影出来なかったため、代わりにこちらで『少林寺』の撮影を行われた場所。
由緒ある、荒廃した国を清める寺として歴史は古い。
日本の天台仏教の祖、最澄が修行した場所も見せて頂いた。
河南省白馬寺から宗院移籍された高僧に地元の人の案配で寺の案内をして頂いた。
寺の境内の話しを伺いながら、之を尋ねる。高僧からお茶を頂き、日本からの僧が苦労して仏教の教義を学びに命懸けの旅であったことを想像する。
寺院を散策してると『花にも命がある』の小さな立て看板があったことが印象深かかった。
歴史を作って来た先人の志を思う。旅はいいものだ。旅は絆が出来る。

二日目 天台山は深い霧でした






午前中は楊式推手の指導を傅清泉先生から指導頂き、上海の生徒の皆さんと交流の中で行われた。
午後は観光でしたが、生憎の雨と霧でした。
天台山頂迄霧深い視界の悪いところを、恐い運転で60分、国清寺の文院の18羅漢を教えとしている報広寺。
山頂の霊気にふれ、山深い中に滝の清流は異次元の空間がある。
天台山は中国仏教の天台宗の総本山。天台山は海抜1000m。
今日は日常の行いが悪いのか、雨に霧に、全く視界の無い蛇行する山道を60分石梁景『報広寺と今一つの寺。山の中に入り何百年前の茶の木々と茶畑』
幻想的な雰囲気を味わい、霧の山道を皆で列を成して一列に(拳友会は白のジャンバーJAPAN拳友会マーク)散策は修験者を連想させた。
傅清泉先生の天台山訪問を聞いた地元の方の厚い接待を受けて、身体に良くない寝不足の始まりです。
太極拳に対する気持ちが伝わる地元の方との歓迎は一会一縁を大切にしたい。

訪中初日 中国浙江省、寧波、天台






上海に正午に着く。九州組と東京組、合流し空港で昼食。中々の味の中華だった。
傅清泉先生の上海の御弟子さんと合流し35名の所帯になった日中交流の場所です。
高速道路で四時間300km浙江省寧波に着く。
夜になり中国古来の秘蔵の書籍の博物館『天一閣』は時間的に間に合わず閉館であり闇の中の記念写真にとどまる。
その後200km天台山に向かう。天台賓館に着いたのが20時でした。
天台山麓に天台宗総本山国清寺があり、国清寺の隣に天台賓館ホテルがあり、町並みから外れた山の麓のホテルは中華風の佇まいのホテルで落ち着けた。
遅い食事は野菜類多く、中々のものだった。
傅清泉先生のお母さん、妹、奥さんも合わせて同行され、天台山は初めてとの事。
日本では年末の慌ただしい中のこの旅、団員は一年間の垢を落として、満喫して和やかな良い旅の始まりです。

2015年12月21日月曜日

中国浙江省天台山に行って来ます。



23日~27日迄中国浙江省天台山🗻に24名で行って参ります。
永年揚式の傅清泉先生の御弟子さん13名と上海で合流し、浙江省天台山、紹興、寧波の太極拳の旅。
年末押し迫ったこの時期、参加の皆さんにはご苦労かけますが、沢山のお土産を頂いて帰って来ることを期待します。
又今日は神奈川県武術太極拳連盟に依頼され『太極かながわ』の季刊紙掲載のインタビューを受けて来ました。
話している内に創立当時が甦り、懐かしい出来事の数々が走馬灯の様に歳月を駈けて来たことが偲ばれました。
県連盟の矢島理事長、椎名常務理事、ありがとうございました。
第三回川崎市での全日本、横浜文化体育館での第一回アジア武術選手権大会。中国武術の国際化がはじまり、日本武術太極拳連盟設立。
その後第11回北京アジア競技大会、開幕式集団太極拳1400名演武とアジア大会正式種目。
創成期、発展期に関わり、大変でしたが楽しい時間を費やした。
全国隅々に浸透した太極拳、市民権を得るまでに成った。
各団体の創成期の指導者の惜しみ無い努力が育てたものであることは忘れてはならない。
28日帰国後訪中状況をお知らせ致します。それまで「お休み」致します。

2015年12月20日日曜日

空手道の子供達 クリスマス会



昨日は空手の子供達のクリスマス会。館長は留守しますので、一人一人に色紙をプレゼント致しました。
明日が最後の稽古納めです。
空手道と太極拳のながい歴史を世代が受けついでくださるでしょう。
ここでも一年間お世話になりました。

クリスマス講習会 空手道昇級段審査






忙しい一日でした。
午前午後少林寺流空手道錬心舘関東地区本部、今年度最後の昇級段審査。《山下町今井道場》にて、100名以上の受験生、合格率50%、質実剛健の気風の中で厳格に審査は行われた。
午後3時過ぎ元街小学校に伺う。
若手指導員が適切な指導、師範しながら、説得力のある指導は安堵する。と同時に若手の成長は何より素晴らしい。
最後の一時間、身体に大変良い気功を会場いっぱい100名、指導させて頂きました。
夜6時から本部の忘年会。
40名近くで楽しい時間、皆さん思い思いに盛り上がっていました。
仲間意識の強い教室ですが、館長の挨拶の中で「我れ関せず」でなく協力を呼び掛けた。
技術だけの繋がりは、望まない。人と人の繋がりも太極拳活動の大切な役割。
天には星、地に花、太極拳は友情。全ての活動を本日で終了致します。
一年間大変お世話になりました。支えて頂きました「指導員の皆さん」協力頂きました「会員の皆さん」ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
拳友会は23~27日迄中国浙江省天台山にいって参ります。

2015年12月19日土曜日

東京協会35周年




東京協会創立35周年祝賀会で上野に伺った。
東京協会はその前、日中太極拳委員会の数年間がある。
創立当時からのお付き合いで当時の方々を探したが少なかった。時は流れている。
第三回全日本を川崎市で、第一回アジア武術選手権大会を横浜文化体育館で行い、中国武術の国際化は横浜からであった。
日本武術太極拳連盟設立に関わった創成期、山積みされた出来事や、苦い想いや、全てが宝物。
日中国交回復し一番の民間交流は太極拳とパンダであったな、と勝手に思っています。
当時の友人か参列して懐かしく思う。
当時の任意団体が太極拳の発展に力を尽くした。忘れてはならない。
北京市から呉彬老師(ジェット・リーの先生)以下代表団の皆さん来日され、私もご縁を頂きました各先生にお逢い出来て懐かしさでいっぱいでした。
《写真は集合写真と呉彬先生(中)、内家拳研究会揚進先生(右)》

2015年12月13日日曜日

指導者、教室責任者会議




12月13日「指導者、教室責任者代表者会議」
横浜市中区、横浜文化体育館隣接の平沼レストハウス会議室で行られた。10:30~13:00来年度の友好団体親善演武大会の運営面が主な話し合いとなった。
朝早くから遠来の指導員には御迷惑お掛けしました。

親善大会は講習会+演武大会+懇親会の流れで2016年5月5日祭日川崎市とどろきアリーナで内外の友好団体をお招きし有意義なお祭りを考えています。
老いも若きも気持ち豊かに輝きます。拳友会の皆さん、我関せずの事なく、御協力宜しくお願い申し上げます。
久し振りに指導員の皆様とお逢いしました。各地で思い思い教室造りに頑張られた歳月、次世代を育てながらご自身の拳学拳行を守り育てて頂きたいと希望します。
歳と共にあの若かったころ熱い心で太極拳と向かい合った日々、素晴らしい思い出を教室の皆さんにお伝え願いたい。
来年はまた、拳友会の旗頭として、しっかりと旗を大きく振り続けます。
指導員の皆様一年間お世話になりました。お礼と感謝を申し上げます。館長

2015年12月12日土曜日

『加藤修三先生』


『加藤修三先生』
長いお付き合いでした。他界されて私も一本の糸が切れてしまいました。
お陰様で今年も拳友会は皆の力を頂いて無事に終えようとしています。
選手の皆さんはご自身の努力を惜しまず発揮して頑張っています。
草葉の影からお力添えください。
2015年は加藤修三先生の締めくくりでした。友情ありがとうございました。
加藤先生に御縁のありました同士の皆さん、哀悼の意を捧げて頂きたいと存じます。
写真は上海似て2012年12月31日

今年最後の「クリスマス講習会」





2015年
【各地の指導】
お招き頂きました各地の先生ありがとうございました。お役に立ちましたでしょうか。

★【交流演武大会、川崎区中原区、等々力アリーナ】
各教室が年一度大切にしている会、各教室の協力頂き素晴らしい大会でした。
暖かい心があるから素晴らしい。来年度5月5日祭日友好団体親善大会、皆さん宜しくお願いします。

★【選手強化合宿、交流合宿、伝統楊式研修会】
足柄労金センター10年を経て今年から千葉県白子五回の東天光、盛会で実り多い合宿でした。
担当した本会の指導員には心からお礼を申し上げます。

【指導員研修、会員研修】
心ある人々の参加ありがとうございました。来年も宜しくお願い申し上げます。

【検定審査】
教室の充実の為努力を求めます。

【野田、元町講習会】
生き生きとした指導員の下、元気を与える事が出来ました、皆さんありがとうございました。

時代が如何に変わろうが、変わらないものが文化です。拳友会はひた向きに、軸をもち頑張れます。拳友会、友好団体の皆さん2015年、お世話になりました。

●12月20日日曜日横浜市中区元町『クリスマス講習会』元街小学校体育館
申し込み締め切らせて頂きます。100名の皆様の参加を頂きました。最後の講習会指導員一同精一杯担当させて頂きます。
★回りに食事する場所迄離れてます、御用意願います。

2015年12月9日水曜日

麗澤、流北拳友会、上野雅司さんさようなら



麗澤コミニティー、流北拳友会で練習されてました。上野雅司さん、11月25日肺炎の為75才で永眠されました。6月に容態に異変あり熱が出て病院に入院されました。本人は病院の先生もお正月は退院出来ますよ、『院内感染もあり、点滴と抗生物質の痛々しい後がありました』と奥さまは涙ながらにお話し頂きました。不幸がありました事の連絡後で伺い、本日流北拳友会の責任者松延指導員と共にお詣りに伺いました。太極拳が大好きで持病と戦ってました、生前の姿が思い出され人生の儚さを感じます。上野さんのご冥福をお祈り致します。上野さんさようなら!

2015年12月8日火曜日

No 2続き、福岡県八女市、巫瑞穂さん





神様の縁を繋いで生きます。来年も色々とご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
館長様、拳友会の皆様。
いつも大きく素晴らしい古の中国の神気を頂き感謝致しております。拳友会の皆様にお会い出来る日を楽しみと励みに日々、頑張ります。拝礼 巫 瑞穂