横浜在住48になる今年、大事に大事に使っている『お湯飲み茶碗』。
38年前少林寺流錬心舘全国空手道選手権大会を弱冠30歳で実施した。
会場の都合で11月と言う通常とは異例の月。二日前は台風直撃、初めての開催、弱小拳団、無い知恵を一杯使った懐かしい思い出。
少数精鋭純真無垢に成功だけを考えて準備した。
先代保勇宗家への恩返しの大会だった。横浜中華街萬珍僂が祝賀会の、これ又異例の会場。
台風直撃の後参加が懸念されたが、みんなみんな横浜入りして頂いた。
大会前日、羽田空港に着き始めた頃、大会演武用に大きな中華料理ザーサイの瓶の四方割りを計画した。
分厚いカメは未だ試した事がない、大会前に試したいと試みた。
蹴り一撃、カメは粉々に私の足も負傷。カカトの肉にソックリ穴が空いていた。
周りの生徒は明日の大会開催を前の惨事に大慌て、病院行って治療して、右足負傷しまだ左足がある!
ので、『先生ヤッテいいですか』の質問に先生からきつく叱られた記憶が甦る。
若いって無鉄砲でいいよね❗
その夜は祝賀会。同門が横浜10年経過の苦労を讃え、大会開催を共に喜こびあった。
先代保宗家奥様は成長を評価して頂いた。
足のケガは『お前らしい事だ』と宗家に呆られ心配頂いた。
宗家の還暦御祝いの為に祝賀会で記念品に造ったのが、写真の湯飲み茶碗。
その字は『上敬下愛』。書家白川硯舟〔私の家内の父〕貴重な書字です!
この湯飲み茶碗は私の一つの歴史なのです。
先代保勇宗家の葬儀の遺体の上にこの湯飲み茶碗が置かれてた。
湯飲み茶碗を『宗家も気に入っていました』と奥様がおっしゃっていました。
先代宗家の戦争、空手道創建と激動の時代の終わりを痛恨の想いでお見送りをした。
全国大会はこの時からゼッケン番号を採用した。
大会終了しご宗家御夫妻と箱根に小旅行したことが38年前の秋だった。
私の宝物『上敬下愛』の湯飲み茶碗、そこに私の歴史がある。
井戸を掘った人の恩を忘れるな。人は目につく所しか見ないが目に見えない所にこそ事実がある。
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