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1967(昭和42.6)三代正廣 大分県出身。高校卒業後、進学就職せず、鹿児島に空手道修業の為単身赴く。
1968(昭和43.10)第一回都道府県空手道選手権大会
群馬県前橋市 空手道を国体にのスローガンの貴重な大会でした。
各流派が団結して戦う初めての大会でした。幸運にも優勝し、相手選手をタンカーで運ぶ豪放な技は華橋青年の注目の留まり、横浜華橋総会より招聘される縁となりました。
1969(昭和44.2)横浜華橋総会より招聘 鹿児島より上京、三代20才
1973(昭和48)中華民国第一回華橋青年世界国術観摩大会
空手道にて華橋青年10名大会参加。空軍黄将軍の招聘で台湾指導の切っ掛けとなる。
総統府隣台北新公園にて太極拳との縁が生まれる
1979(昭和54)日本太極拳友会発足
1985(昭和60)第三回全日本中国武術競技大会
川崎市にて開催。運営の手伝いをし、空手道にはない未来がある生涯学習を強く意識する自己革命あり。
一回二回大会は大阪。後に「全日本武術太極拳選手権大会」と命名する。
19887(昭和62.9)第一回アジア武術選手権大会
横浜文化体育館。国際化の始まり。
日本武術太極拳連盟発足「三代正廣理事就任」
アジア武術連盟加盟。この年は中国武術の始動期。日中友好ブーム。
1990(平成元年)第八回全日本武術太極拳選手権大会 横浜文化体育館開催
中華街錬心舘空手道場が大会事務局として活動の始まり。
大会開催に伴い、三代が各太極拳団体に呼び掛け神奈川県武術太極拳連盟を発足。初代理事長に就任。
1990(平成元年9.22)第11回北京アジア競技大会 開幕式・日中合同開幕式集団太極拳太極拳
歴史的幕開け。「日本側監督を三代勤める」
1991(平成2)第一回武術世界選手権大会 北京国際化の幕開け
監督三代 男子太極拳・拳友会伊藤亮二優勝
1994(平成4)指導員制度に次いで技能検定導入
1998(平成10.10.29)52回神奈川ゆめ国体 公開競技 神奈川加盟団体集団1400名 太極拳、長拳
国際競技場(現日産スタジアム)
神奈川武術連盟結束の忘れられない行事。監督三代
【三代正廣】
大分県出身
日本太極拳友会会長
永年揚式太極拳日本本部
全日本少林寺流錬心舘関東地区本部本部長
関東東北空手道選手権大会会長
全国少林寺流選手権大会大会審判長
空手道七段教士
【日本太極拳友会】
横浜市南区別所3-25-1本部事務局
【所属教室】神奈川県、東京都、千葉県、埼玉県
【中国武術関係】
永年揚式国際連盟 傅清泉、傅声遠
華武太極拳協会福建省 曽乃梁
★御世話に成りました中国武術関係老師多数
●空手道にて横浜上京以来空手道指導と太極拳指導と二つの団体を育て、空手道創立47年、太極拳創立37、指導者として育てながら育てられた歳月でした。
太極拳は家内一美共々それぞれの努力の中でそれぞれの育ち方をして参りました。
全国各地区に指導に招かれています。情熱は人を育てる鍵、心を持って礼節を学び、体を持って秩序を整える。拳学拳行。
一緒に育った歳月は次世代に確かな物を伝えたい。
今目標の入口にある。色んな人を教え学び、教える事の空しさも、育った事の喜びも私にとっては皆、宝物です。
【日本太極拳の歴史】
日中国交回復し上海と横浜は早くに姉妹都市となり中国から太極拳の老師が初めに来日したのは横浜市。
全国大会二回開催横浜市。中国武術の国際化。
横浜文化体育館第一回アジア武術選手権大会より始まる。
太極拳発展の礎になった所横浜です。
国体も52回神奈川ゆめ国体は公開競技であった。
2015年も終わろうとしてます。過ぎた歴史は新な発展、馬車馬の様に駈け足で来た時間の流れ、来年も又惜しまない努力を致します。
縁ある皆さんと!
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