2017年8月1日火曜日
大会終わり、ご当地観光
錬心舘総本山に「白龍」最近寄贈された、鹿児島県伊集院にその聖地がある。先代が拳士が丘と命名した。三代目勇三宗家は立派だった。47回全国大会を先代が二代目の偉業を讃え、「追悼大会」とした。連盟正木会長が追悼文を読み上げてる時に、私は込み上げるものを押さえられなかった。ありし日の先代、良く叱られ奥様の手料理を遠慮もしないで、良く頂いた、第1回都道府県全国空手道選手権大会群馬県前橋市で初めての上京が縁で今がある。「三代君、君に横浜華橋総会から要請が来てる。拳流渦巻く大都会で、錬心舘の旗をあげんか❕」二代目は私とは同世代、今いない、フイリッピンの指導終えて若干20才の青年の事が気になり、横浜まで訪ねてくれた、朝方まで熱く語った時間。台湾から中華民国華橋青年第1回世界国術観麻大会に参加、これが縁で二代目以下六名の錬心舘の強者が台湾に渡った。台湾錬心舘の始まりでした。30歳の時に横浜文化体育館で全国空手道選手権大会を主管した。先代還暦の年だった。大会中に追悼文読み上げてる時に、走馬灯の様に甦り感慨無量の一瞬だった。先代の元で二代目が親子仲良くこの大会を見ている事でしょう。この間疎遠に成った拳友達よ不義を働いたはならない、頑なに錬心舘を更に未来に発信しょうと決意した道志、今大会の内容は素晴らしかった。ゆっくり次世代に繋がって行くだろうと、内心安堵した。この一貫した人間形成、安全性を讃え防具着用、円心力を使う捌の空手道は他にない、青雲の志を持って上京した、あの日が運命の始まりだった、再認識する大会だった。
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