2019年8月16日金曜日

お盆によせて

忍び難い猛暑の日々、西日本を台風10号が通過した、列島大移動のお盆のみぎり、空の便、陸の便、麻痺して停滞してた。
不法が届いた札幌から、拳友小平孝夫先生が闘病の末、旅立った。ご家族密葬との事、空しい思いです、道産子の魂を持った、残された武士だった、ご冥福を祈ります。

仲間がいなくなることはやりきれない、彼は兎に角太極拳が好きで好きで、闘病の病室にはご自身の達筆な書で飾られてた。

二年前この時期三代一美は放射線治療の後好転出来ず横浜市民病院に再入院した、時期だった、2017年10月12日が彼女の最後だった。
その日に多くのお見舞いの人々、特に九州から巫女さん含む皆さん、皆帰った後で、病室に寝泊まりしてた私は、そろそろそろそろ寝ようとしてる、所に、看護士さんが病室に入ってきて、「呼吸が止まってますよ」冷静な声で私に伝えたのは、今だ忘れない、
つかの間空手道、太極拳の私の生徒が多く駆けつけた、葬儀社の手配等も対応は早かった。
「私は死ぬ気はしない」と言っていた強気の言葉も聞けない。娘の事や手の係る孫達の事、太極拳の生徒の事を心配してたはずだ、
泣き言は一言も言わなかった、一週間は火葬しない、私の意思を葬儀社汲んで頂いて、何とユ〜タンして九州から巫女さん達が姿現し一週間家族と共にして頂いた。
尽くせない深い深い人情を頂いた、孫達に毎日、亡きバアバの思い、を一人一人に伝えてくれた。
幹部のお弟子さんで密葬して、改めて12月にお別れの会を中華街のホテルで行った。
一切を空手道の幹部、が仕切り太極拳の幹部が段取り付けて、全てをやり遂げてくれた。
私はいいお弟子さんを持って、家内の旅立ちを誠心誠意手伝ってくれた。
本会は勿論、全国からお別れの会に駆けつけて頂いた各位の友情は忘れない、これから恩返しをしてい行きたいと思ってる。
あれから二年の間、数々の拳友がやはり旅立った。
気づけば、その年齢になっている、人生100年時代なんて、薬品メ〜カ〜のキャッチフレ〜ズか、戦後生まれはそうはならない気がする。
お墓参りに行って、人生てなんだろう、生まれて生きて死ぬ、人生とはその短い期間の与えられた試練の時間、思わず歩いた道を振り替える。
ヤンチャなガキが九州から空手着一つでこの横浜で51年の歳月を迎えてる。
その間、何もかも変わって来た、義理や人情の時代の人間、なかなか通じない、

家内も今年は三回忌、家事一切は苦にはならないが、仕事に支障が出てしまう。針仕事も時にはやる、何でもやって来た事が役に立つ、じいちゃんは何時までも元気な者だと、勝手に能天気な家族は思ってる、

【人生は与えられた贈り物】
そのように自分を置かないと前に進まない、合掌

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